夜明け前、月が沈む一瞬前に

暗い内だけ自分勝手を許してください

how to ガチ恋

ガチ恋とは。ひいては恋とは。
なんて事を考え始めると哲学ポエムを炸裂させてしまうタイプです。


自己顕示欲の強い我が儘厄介女な自分ではいけないと思い、ここしばらく「私は」という主語を余り使わないようにしているので、反動のような自分語りを混ぜつつ『恋心』について考えてみようと思います。


恋ってなんだろな。そんなのは10人いれば10通りの答えがあるでしょう。
きゅーんとそのひとを見ればときめくのが恋か。そのひとの事を考えると悶々として夜も眠れないのが恋か。嫌われるのが怖くて右にも左にも行けなくなってしまうのが恋か。はたまたそれら全ての条件を揃えると恋になるのか。
何かの本で読んだけど、「あなたを想うこの恋心があなたのそれと全く同じかは神様にしか分からない」というのは真理だなと思う。
だってみんな『すき』なんていっぱい持ってるもの。
loveとlikeがどう違うか、と訊かれてはっきりと答えられる人はどれだけいるのだろう。
それでも私達は、友達への好きと恋人への好きを明確に違うと感じとります。不思議。

違いと言えば、恋と愛がどう違うか、というのも良く聞きます。
これも10人いれば10通りの答えがあるようなものだと思うけれど、個人的に一番好きだと思ったのは「恋は一人でも成り立つ、愛は二人いないと成り立たない」というものです。
まぁそんな事言ったってあのひとを想うこの気持ちは愛!って自分が断定すれば愛になる気がする。なんて曖昧な。

そんなこんなで、私のこのあのひとへの気持ちは恋なのか、愛なのか、はたまたただのファン心なのか。ぼんやり考えてみる。
そんな中、恋愛小説を読み漁り友人の話を聞いて、これまたぼんやりと

あー私あのひとの嫌いな部分が欲しいな。

なんて事を思いました。
私のすきなひと、もとい推しは、私ととても近い感性を持っている(と、勝手に思い込んでいる)。
好きだと言った本や映画、音楽がとても近い。身につける物のセンスが似ている。窺い見える思考回路が似ている。
そしてその上に好きが乗っかって、彼が大抵何をしても何を言っても「わかる〜〜!!すき〜〜!!」となってしまう。
テレビや雑誌で知れる彼の人柄がとてもすきなのだ。
しかし彼も三次元を生きる人間である。当然駄目な部分もあって、人に嫌われる部分があるのだろうと思う。
でも、私達ファンには、そういった負の部分はほとんど見られない。見せてもらえないというか、見えないようにしてもらっているというか。
運動が苦手とか、ちょっと学力的に馬鹿であるとか、チャームポイントになる駄目な部分は当然見せてもらえる。そういう売り方というか戦略なのだろう。

けれど、私はそういう『かわいい駄目な部分』を見て、「も〜馬鹿なんだから♡」みたいな事が言いたい訳ではない。彼に関してはそうではない。

身近にいる人間に対するように「アイツのああいうとこほんとムカつく!」とか「そういう所だけは許せない、好きになれない」とか言いたい!!!ていうかむしろ喧嘩したい!!!

好きと嫌いは表裏一体と言う。
嫌いがあってこそ好きが成り立つのでは無いだろうか。

彼の嫌いな部分が何一つ無い私は、本当の意味で彼をすきにはなれていない、なれないのかもしれない。


(あと彼のここがすき!と私が思う所は全ての彼のファンが知っているという事も考えると胃が痛くなる。常に勝手な独占欲で自滅してます。)


恋の仕方なんて千差万別、「how to ガチ恋」なんて本があれば間違いなく買うなと思いつつ。
酒が入ってるので離陸時点での予想より着地点が凄くズレている!乱文失礼。